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    多年草 カズ先生の作品 6月

    • 2016.07.29 Friday
    • 10:02
    多年草 カズ先生の作品 6月
    【雑詠】
     裏金がゴリンゴリンと回ってる(佳作)
     五輪を巡ってはいろいろなことがありました。スポーツの聖典なのに政治家が絡みすぎています。欲と金のあるところいろいろな人が絡みますね。
     ライン利用もつれた糸がまた絡む
     スマホのライン、世界中無料というところがいいのですが、便利すぎて気のつかぬうちに人間関係を難しくしたりすることもあるようです。
     ブレーキをかけて後悔夢のなか
     色っぽいい夢を見たのについ自制心が働いて…せめて夢の中ぐらい自由奔放に生きたいがそうはいかぬもの
    【題詠】「空」
     梅雨空に女心の七変化
     空梅雨とか。梅雨になるとお出かけもいろいろ左右されます。この移ろいやすさは女心にも似て、その下に咲くアジサイもまた・・・なんて訳知り顔に。
     お出かけは妻の機嫌と空模様(佳作)
     女性は太陽。友達と出かける楽しい山歩きも家内の笑顔で見送られたい。それと空模様。元気に出かけ、お土産とともに帰宅するは最高の幸せ。
     満天の星が見ている出処進退
     天網恢恢疎にして漏らさずとは言いながら、都知事の出処進退は格好の週刊誌ネタ。やっと辞任しましたが、男たるもの小さな間違いが大きな判断ミスにつながる良い例でした。

    多年草優秀作 
    第一席      十七点
     終盤に初めて気付く見た映画(斌)
    第二席      十五点
     悪い癖お骨拾いで迷い箸(孝)
    第三席      十一点
     主のない家にたわわな梅やびわ(悦)
    【題詠】「空」
    第一席   十三点
     そら豆の産毛を剥いただけで夏(里)
    第二席   十一点
     空を見る機会が増えた引退後(壱)
    第三席   十点
     被災地を見守る空に千の風(忠)

    「額縁」エッセイ徒然草

    • 2013.07.02 Tuesday
    • 07:03
    文芸同人誌「琅」最新号に掲載されています。
    http://homepage1.nifty.com/muneuchi/rou/rou23/mokuji.htm
    からどうぞ
    インターネットで「文芸同人 琅」で過去の琅から最新ものまでアクセスできます。

    小笠原紀行

    • 2013.04.13 Saturday
    • 04:44
    小笠原紀行(2013年4月2日から4月7日)

    4/2 10時小笠原丸出航、5000トン級やや小ぶり。結構ゆれるそうで、早々酔い止め薬飲む。外洋に出るまでは静か、では行ってきます。
     12時手製サンド 酔い止め利いてよく寝る 
     18時カジキとホタテソテー 立っていられないほどのゆれ 低気圧で強風 また寝る。不思議と酔わない。

    4/3 通路はまっすぐ歩けない程のゆれ 
      7時和定食 一人旅の気楽さ 寝る 食べる iPADで読書 寝る   
     10時聟島沖通過 
     11時50分 20分遅れで父島二見港着
     風つよし気温20度 アメリカ風家並みの大通り コーヒー、レモンチーズケーキ美味 5倍の大きさのふじ丸は着岸出来ず沖合い停泊 自衛隊飛行艇の飛翔 デイゴの赤 大戦の沈船 印象的 ここが捕鯨基地であり、ペリー提督以来 日米の重要地点であることを知る 
     18時夕食 シーラの月桃包み焼き パパイヤのチャンプル 旨し インターネットつなぎ就寝

    4/4 風おさまるもウネリ残る。クルーザーで南島とホエールウォッチング。曇り、一時薄日。南島上陸、鮫池、亀池(扇池)、鴨池(陰陽池)、波強く海食洞豪快。ラピエの路を東尾根に登る。海食洞を含む全景をみる。島はサンゴ礁の隆起。世界遺産の理由になったヒロベソカタマイマイ半化石をみる。ツアーコンダクター下り坂で負傷。緊急で二見港に戻り下ろし、兄島に。ハートロック他、奇岩多し。イルカ、ザトウクジラの親子のブロウ観察。ロデオ大会のようなうねり。
     18時夕食 地魚の寿司 

    4/5 父島散策。曇り(とうとう快晴ならず、ナイトツアーも星空期待薄)。アカガシラバトのサンクチュアリィにて1羽現認。三日月山山頂展望台にて昼食、薄日、風もなくべたなぎ、昼寝気持ちよし 西島、弟島、を見ながらホエールウォチング ブロウ確認。かえる岩等奇岩多し 
     18時夕食後 19時ナイトツアー 夜光茸グリーンぺぺ、かろうじて確認、小浜にてオオヤドカリ観察。なんと雲途切れベンチに寝転んで星座観察。全天見えれば天の川が洋みえるだろうな。その後オオコウモリ。残念ながら飛翔確認のみ。

    4/6 13時まで街でぶらつく。小笠原コーヒ美味し。買い物、おにぎりを買い海岸で昼食、乗船 
       14時出発 沖合まで見送りの舟 飛び込んで別れを惜しむ。 爆弾低気圧通過のNEWS 酔い止めを飲みまた寝る。酔い止め効果抜群。食べ、読み、寝る、食べ、読み、寝る。往復50時間はかなりの覚悟がいる。これさえなければまた行きたい。行くなら6月。

    4/7 15時30分定刻竹芝着 帰京。

    カズ先生の読書日記

    • 2013.03.01 Friday
    • 05:00
    睡眠障害気味の私 昼間ウトウトするのでいいか。読書は身体に毒書。

    『ビブリア古書堂の事件手帖4』、速読派の私が1週間かけて読み終わりました。
    なぜ第4巻がこんなに遅れたのか分かりました。
    第1巻の短編第一話、漱石で栞子さんにすっかりはまったのですが、第4巻は一級の長編推理小説でした。子どもの頃読みふけった20面相の江戸川乱歩、最高でした。
    栞子と大輔のクローゼットのなかでの場面、初めて好きだと口にする場面、最後の彼女を現実に呼び戻す場面・・・。
    実は若い男女が初めて心を触れ合わせる場面、私のもっとも好きなシチュエーションです。

    高校の頃、学園祭の演劇の脚本書いていた自分思い出します。40代の初めに、小説を1本書きました。私小説であり、フィクションにする技もなく、今でも手元で眠っています。
    息子が、大学で落研がらみの演劇で脚本を書いていること卒業公演で知り、「お前もか」と驚きました。いつかもの書きになる夢捨ててないようです。23歳んの直木賞作家朝井リョウは会社の後輩で、上には上のいること思い知ったようでもあります。
    私も、近代川柳の椙本紋太の句に『小説を書こうとしたは五度六度』というのがありますが
    まさにその流れ。とうの昔に表舞台に立つ夢は捨てましたが、しがない雑文を書くのは好きです。75歳の芥川賞作家の「abさんご」は好きになれません。うらやましい一発屋なんて失礼な言葉浮かびます。五度六度が実現したのですから素晴らしいことですが。

    『寝られないほど面白い古事記』から、道尾秀介『光媒の花』、ダシールハメット『マルタの鷹』、朝井の『桐島、部活やめるってよ』(小説すばる新人賞)『何者』(今回の直木賞)等、相変わらずの乱読です。

    PS ミスキャストだと思っていたTVドラマ化の剛力彩芽、抑え切った演技に驚きました。キレのいいダンス踊る女にはみえません。さすが女優です。
    PPS 『珈琲店タレーランの事件簿』も京都を舞台の似たコンセプトではありますが。店の名のタレーランは、「カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純で、まるで恋のように甘い」といった美美食家。でも「金儲けに精を出していないときは、陰謀を企んでいる」と酷評された政治家でもあるそうな。コーヒーにはアラビカ種(キリマンジャロ・ブルーマウンテン・コナばど)、ロブスタ種があることなども知り、ネルドリップは面倒なのでしませんが、細い口のコーヒー薬缶を買い、入れ方を教わり楽しんでいます。

    エッセイ 流儀について(2012.7.8)

    • 2012.07.16 Monday
    • 11:02
    退職後の生き方は決して容易ではない。
    待ちに待った好機到来であるはずなのに、あくせくしていた時のほうが充実していた気がするときもある。
    家内のほうも濡れ落ち葉のごとき常時べったりでは、狭い水槽の金魚のように酸素が欲しくなるかもしれない。
    もう少し教師の仕事がしたいという家内に理解のよい夫のような顔をするも、本音、こちらの自由さも保証されるようでまずまず心地よい。

    退職直後、怒涛のように押し寄せてきた有り余る時間の中でおぼれそうになっていた時、たまたま声がかかって、大学入試センターで新しい機構を立ち上げるという、自分の専門に密着した仕事の手伝いをしばらく続けることになった。ソフトランディングという意味では非常に幸運だった。授業や評価の義務もなく、研究テーマを中心に文献を読んだり、コンピューターに向かう日々は、静かで充実したときそのものである。正直、この
    歳になって新しいことを知って素直に喜びを感じることがこんなにあるとは・・・これまでがいかに怠惰であったのか恥ずかしくなるほどである。まあ、誰しも残された時間の中で、自分らしくどう生きるかであろう。

    たまたま手に取った山本七平の「小林秀雄の流儀」(講談社)に、『人がもし、自分に関心のあることにしか目を向けず、言いたいことしか言わず、書きたいことだけ書いて現実に生活していけたら、それはもっとも贅沢な生活だ。』という一節がある。まさに小林秀雄の爪の垢でも煎じつつ、ほんの一部でもその真似がしたい。どこからか『十分わがままに手足の生えたような生活をしてきたじゃないの』というお叱りの声も聞こえてきそうであるが・・・

    友人の上野記念天文台のS台長は、これを「絞り込みの人生」とかねがね口走る。ある年齢になれば、苦手な人とは無理に付き合わなくてよいし、自分のペースで、自分らしくやればよいわけで、これで家族から見放されなければめでたしめでたしである。というわけで、70までは週3日の研究センター通いと、月1、2回の野山の散策、週2,3回の軽い早朝水泳の生活を大切にしたい。小笠原も屋久島も行ってみたいし、ハワイ島のマウナケアの満天の星も再度挑戦したい。マチュピチュもイグアスの滝もキリマンジャロの月もみてみたい。さすがに宇宙に行ってみたいとは思わないが夢はますます広がる。

    まさに足腰の立つ七十五までは、どん欲にアクティブにやっておきたいことがたくさんある。できれば家内を伴いたいが、まだまだ同行してくれそうな友人もいる。一昨年、専門は違うが長く大学で親しく付き合った友と突然の別れを迎えた。『語り合う約束反故に友は逝く』まさに慟哭の句である。一年一年貪欲に生きていきたいし、これがカズ先生の流儀とお許し願いたい。

    JUGEMテーマ:最近読んだ本

    カズ先生の読書日記(2012.5.23)

    • 2012.05.23 Wednesday
    • 16:55
    岡嶋二人の「チョコレートゲーム」「99%の誘拐」(講談社文庫)等読みましたが、印象薄し。一押しは直木賞作家三浦しをん「舟を編む」(光文社)「死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした」純愛ぽいところもあり、アスペルガーチックなまじめ君が香具矢さんと結ばれるところは、古風でよかった。イケメンの二股野郎なんか足元にも及ばない。言葉を大切にする人にはぜひお薦めの心にスッと溶け込む本です。
    JUGEMテーマ:最近読んだ本


    エッセイ ぼろぼろ図鑑

    • 2012.03.09 Friday
    • 07:30
     都会育ちの私が東京の郊外、武蔵野の一角に位置する大学に奉職したのが40年前。それ以来、通勤路、校内と自然に接する機会が増え、季節の移り変わりが草花によって、律義な程、見事に守られていることに気づかされ、深く感動を覚えるようになった。
     新しいことを一つ覚えるのに、三つ位古いことを忘れなければならないようになっている昨今、「野の花図鑑」片手に、散策に行っても結局覚えられる名前は限られる。しかも、図鑑の花は最盛期の見事なものばかり、そんな御姿にお目にかかるチャンスは当然ながらさほど多くはない。
     私の散策によく付き合ってくれる友人から「ぼろぼろ図鑑」なるものを紹介された。
    『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』は作家林芙美子が好んで書いた短詩だが、生きとし生ける花も、人と同じく、季節の移ろいとともにその容色は衰えていく。こんな自然の摂理は、自分が歳をとってきたせいか、かえってその移ろいゆく姿に愛着というか、限りない愛おしさを感じる。
     「ぼろぼろ図鑑」はそうした花の最盛期だけではなく、まさにぼろぼろになっていく姿まで収録した図鑑である。われわれは月一程度で行く趣味の野山巡りでたまたま目にした花が最盛期を過ぎていると「ちょっとぼろだね」とか「すっかりぼろになっちゃったね」とそれなりに愛でることにしている。花のほうからも「あんたらも相当ぼろだよ」といわれそうなわけだが。
     若いこと、完全なこと、伸び盛りももちろん素晴らしいが、力いっぱい咲き誇った後、静かにだんだんぼろになっていく姿もまた愛おしい。どんな小さな野の花も、よくよくみると実にバランスよく、完全な形をしている。まさに神のみ手になるものである。
     しかし、自然の時の流れの中で、まちがいなくすべてのものがぼろぼろになっていく。永遠の命を渇望することがどんなに空しいことか。それよりも老いを受けとめ、年相応の生きがいを求めることは、すべての生が死に向かってのプロセスであって、それに抵抗するのではなく、そのプロセスを一つ一つ味わい尽くすことの大切さを自然は教えてくれる。
     とはいいながら、この話、女性である家内に話したことはないが・・・
    『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』
                              (小野小町 『古今集』)

    エッセイ:渇字症

    • 2012.01.15 Sunday
    • 08:06
    渇字症
    ある人を許すことにした(いつもながらの偉そうな物言いですね)。俳優で物書きもする児玉 清氏である。
    始まりは、氏がある著名な老作家の抹香臭いエッセイを激賞した帯書評にあった。いつも読む本を探している私にはこの書評に触発されて心躍らせてその本を手に取った。
    読み始めて間もなく、この書評は最後までしっかり読んで書いたのではなく、それこそ編集者が見本に書いた程度のアジ文であったことに臍(ほぞ)を噛んだ。それ以来、彼自身の本も垂れ流す書評も無視することと相成った。

    先日、SF好きの友人から薦められたアダム・ファウアー「数学的にありえない」(文藝春秋)を読んだ。スティーグ・ラーソン「ミレニアム」(早川書房)のリスベット・サランデル、ダン・ブラウンの「デセプション・ポイント」(角川書店)のレイチェル・セクストン、そしてここに登場するこのナヴァ・ヴァナーと、立て続けに魅力的なアンジェリーナ・ジョリーが演じそうな不死身のヒロインにであった私は、余韻を持って巻末の解説で児玉氏に巡り会った。
    『振り返れば,物心ついてからこの方、約六十数年間、ひたすら面白い本を読みたくて四六時中うろうろしているような僕は、これまでにも沢山、心に残る面白本出会ってきた。』
    『・・・だが、最初はタイトルを見てたじろいだ。僕には数学アレルギーといったものがあったからだ。』
    これって、まさに私自身の鏡映ではないか。常に読む本を探している。私はこれを活字ならぬ渇字症と名付ける。しかもそこで彼が挙げている面白本の七〇%は私にも覚えがあった。

    児玉氏は、例の三・一一の衝撃醒めやらぬ同年後五月、満七七歳で没している。私は七七という数がことのほか好きで、リトグラフでも七七と書いてあると無性に欲しくなる。車のナンバーもここ何代か七七で押し通しているし、家内にも七七歳までは元気に生きていくと日頃保障している。氏の享年七七歳。なにか縁を感じ、その瞬間、すべてが氷解していった。 合掌。

    エッセイ  ダック・コール(カモ笛)

    • 2011.11.15 Tuesday
    • 11:22
    エッセイ  ダック・コール(カモ笛)

    歳をとると無駄な回り道をしなくなるものらしい。
    「れんげ菜の花この世の旅もあと少し」(時実新子)となれば、省エネこそ真の美徳である。
    推理小説家を目指していると公言する友人がいる。私なんざ、
    「小説を書こうとしたは五度六度」(椙本紋太)の川柳を知って以来、小説家になる夢はとんと口にしなくなった。 彼はその夢やみがたく、古今東西、名推理小説をその定着した評判を頼りに読み漁っている。いつの日か華々しくデビューする日を夢見つつ。最少時間で最大の効果を狙っている。その上、私のような中途半端なものをも巻き込みに、感想を求めてくる。
    ゴキブリ型乱読者の私にとってはそれもまた貴重な情報源ではある。 彼から稲見一良という、今はもう故人である作家の『ダック・コール』なる作品を脅迫的に薦められた。年譜によれば、稲見一良(いなみいつら)は、小説家であり放送作家。記録映画のマネージメントを務める傍ら、一九六八年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。一九八五年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、一九八九年、本格的に小説家デビュー。一九九一年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、一九九四年わずか九冊を残して癌のため没したとある。
    なんと劇的ではないか。 小説家になりたいとうそぶきながら、雑文書きで終わりそうな気配濃厚な私にしてみれば極めて小癪な存在である。だいたいがへそ曲がりの私は、人の薦めた本でよいと思うものは割と少ない。しかし、一良はちがった。 稲見一良は、まさに日本のヘミングウェイであった。故人であるし作品も少ないので、私としては珍しく一気に読むのが惜しく、ていねいに読みふけった。
    ワイルドライフを趣味とするハードボイルド推理小説であるが、銃器マニアックなものとはまったく違う。少年の視点や目線を取り込んだ人間臭さは、限りなく温かい。 中級のバードウォッチャーでもある私にとって、キンクロハジロ、カイツブリ、ヒドリガモ、見慣れた名前がバリバリ出てくるのもたまらなかった。
    確かに時代性を感じる作品もあるが、ここに収録される短編はどれも好ましかった。 好きな作家は年代順に読んでみたくなる性癖のある私にとって、そのすべてを手に取ることが容易な作家は貴重な存在である。『男は旗』『花見川のハック』『ソー・ザップ!』『ダブルオー・バック』・・・と、アマゾンのおかげで、集中的に彼の四年間の作家生活を共有した。 どの話もそれぞれ感性的には気にいったが、やはり、『ダック・コール』『セントメリーのリボン』『猟犬探偵』が私にとってのベストスリーだった。
    男の本であることは間違いないが、アウトドアの料理本でもある。パリッと皮の焼けたジャガイモ、仕留めたカモを自分のためでなく、自分と同じ時間を生きる者たちへのささやかなふるまい。ふやけたシェフのTV番組とはちがいます。 『セントメリ―のリボン』では、私の密かに愛してきた懐かしいバーボン、フォアローゼスやワイルドターキーが出てきて、喉が鳴った。
    なかでも、わけありの美女に2フィンガーのバーボンを勧めると、
    「フォアローゼスね?」 「あぁ」 「山のフィリップマーロウね」
    たまらない会話。 院生の頃、S先生からバーボンの飲み方を教わった。ロックなどにせず、ショットグラスで生でやって、チェイサーする、恰好よく見えました。確かオールドクロウという銘柄でしたね。 就職してから職場近くの国分寺のスナックで見つけたフォアローゼスが好きだった。ワイルドターキーもよかったけど。今はもう、飲まなくなってしまったが、それでも一本だけ家に残っている。
    これを機に、ロスを舞台にしたレイモンド・チャンドラーに出てくるタフな探偵フィリップ・マーロウが私の人生に再び登場。ロスの海のマーロウに対する、山の・・・ね、と評したしゃれた表現。またまた「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」といった名台詞が蘇える。
    最後にハナの面倒をみる老人リチャード。カルフォルニアの匂い、そして第二次大戦での苦労、確か日系人の苦労話は『ダックコール』にもあった。四四二日系人部隊の話。それと収容所の話は表裏。あの収容所はデンバーだった。 リチャードの作ったサンドイッチ(干しブドウ入りにかたい黒パンにスモークしたカモ肉とチーズ)、熱い紅茶と冷えたプラムジュース。村上春樹のハムサンドとビールもよく真似をしたけれど、こういう男の無骨い料理に強い憧れを感じる。マーロウのようなカッコ良さとは程遠いけれど。  
    二〇年前に、NYに七カ月、デンバーに一カ月、カルフォルニアに二カ月、たまたまひとりでぶらついていたあの頃の空気が、匂いが強烈に思い出され、何となくわかった気になるから不思議なもの。
    よい作家、教えてもらって感謝。これが親友の親友たる所以。でも一良は一九九四年に亡くなっているのですね。この『ダックコール』が九一年。短すぎるけど、そこがまたいいんでしょうね。
    一良の文に、「スポーツ選手は、選手生命の終わりとほんとうの人生の終わりの二つを経験する」という一節があった。何となく研究者としての終わりと人生の終わりとを意識し出している私にはしみる言葉です。曖昧な一定の目途で何やかや言われている出処進退のはっきりしない政治家をみると、「一定の目途が立ったらおれも逝く」なんて句が浮かんできた。
    おかげで、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を村上春樹の訳で読みなおす羽目にもなった。「ギムレットには早すぎる」なんていうフィリップ・マーロウの決め台詞をどこかのバーで言ってみたい気分・・・
    (2011.5.28 『琅』No.24)

    エッセイ  年寄りの冷や水

    • 2011.11.02 Wednesday
    • 10:42
    エッセイ  年寄りの冷や水

    定年後、非常勤の仕事などしながら、それなりに自由を謳歌してきたが、ストレスのないことが逆にかすかなストレスになっていた。それでも二年目に入ると、なんとなくそれなりの生活のペースができてきたように思う。  週に三回ほど、近くの運動クラブで、仕事前にスイミングをする習慣が身についてきた。早朝の水泳などまさに「年寄りの冷や水」*どころか、冷や水のなかにどっぷり身を置くわけでいささか乱暴な感じがしないわけでもない。「習い、性となる」とはよく言ったもので、最近はスイミング後のさわやかさが夕方までそこはかとなく続く。  二五mの短水路、ゆっくり三〇分からせいぜい四〇分、自分のペースで泳ぐだけのこと、問題は往復の回数が混乱することだけである。疲れては元も子もないので、八〇〇mから一〇〇〇mと決めている。すると、往復一六回から二〇回ということになる。自分のためのエクササイズだから、わからなくなると少々いまいましいが、七か、八なら七回と少なめにカウントすることにしている。  昔から、余計なことを考えるのが得意な方なので、その内、一月、二月とカレンダーをめくるように泳ぐことにした。一二月までは実に楽しい。その月の花やら、行事やら、誕生日やら、一往復毎に思い出すことがたくさんある。しかし、一年目はよいが二年目に入るとどうも面白くない。 そこで最初の一年の六〇〇mが過ぎると今度は春夏秋冬に切り替える。この位の大きな単位だとなかなか間違えない。記憶的にも体力的にもこのあたりがちょうどよいのだが、物足りない時は三年目に入る。最後の四往復なので、カウントダウンしたり、このあたりまでくると妙に泳法にこだわったり、肘の抜き方や、手首の入水角度など、余計なことが気になってくる。止め時である。  温泉のような打たせ水やジャグジーやミストサウナなど、儀式のように一回りして、ジムを後に仕事に向かう。このペースが身についてきたのである。それにジムでスイミング後に載る体重計や血圧の測定も楽しい。結果がよくなければ、意識の外に押しやってしまいがちなものであるが、これがすこぶる塩梅がいいのである。  体重はさておき、血圧などは健康のバロメーターともいわれるが、ここ数年飲んでいる降下剤も量を減らすどころか、しばらく止めてみましょうかと主治医から言われるほどの好結果である。というしだいであるが、「好事魔多し」のことわざもあるのであまり浮かれないことにする。     
    *年寄りの冷や水(諺):江戸では、大川(隅田川)の水を買って飲む習慣があったが、抵抗力の弱った年寄りが、若者気取りで生水を飲むと腹を壊すことが語源で、老人が冷水を浴びるといった、老人に不相応な危険な行為や、差し出た言動をすることを戒める喩え。
    (2011.1.20 『琅』No.24)

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